樹木医


     三重県のシンボル的樹木・・・ 長太(なご)のオオクス


 ★ 三重のクスノキは日本一!?

三重県鈴鹿市、F1グランプリが開催される鈴鹿サーキットで有名なこの町にひときわ
存在感のある巨木、長太の大クスがそびえ立っています。
この大クス、木の姿としては日本一だとの呼び声が高く、地元はもとより県外からも多くの人
が訪れます。 特に写真家の中では、この美しい姿をカメラに収めようと四季を通じて
通う人がいるほどの人気スポットです。

 そんな大クスの魅力を樹木医の目線でご紹介したいと思います。


【長太の大クス:2009年(平成21年)3月撮影

 樹齢1,000年を超えるとも言われ、1963年(昭和38年)に三重県天然記念物に指定されている。
樹高
27m、根元周囲13.5m、胸高周囲9m、枝は東西に32m、南北に33mの巨木である。
その昔は大木神社の境内木であったが、現在は大木神社跡と示す石柱とこの木だけが残されている。
2004年(平成16年)の台風と干ばつにより大きく衰退し、その後、大くす保存会による日々の手厚い管理と
樹木医による土壌改良などの樹勢回復作業が実を結び現在元気を取り戻しつつある。

近鉄名古屋線長太ノ浦駅と箕田駅の中間ほどにあり、電車の車窓からはもちろん国道23号線や塩浜街道からも
その優美な姿を見ることができる。








 ★ そのクスノキは何処にあるの?

鈴鹿市役所から東へ3kmほど、伊勢湾を望む南長太町へ足を踏み入れると、田園風景の中に
クスノキの姿が目に飛び込んできます。
樹齢
1,000年を超えるとも言われるこの大クス、かなり遠くからでもその姿を見ることができます。
この様に開けた場所にこれだけの巨木が
1本だけ立っているというのは、日本の中でもかなり珍しい風景です。
実際に大きさだけで言えば他にもっと大きなクスノキがありますが、その多くは森などの
木々に囲まれた中にあり、
全体を眺めることはほとんどできません。
そんな魅力ある姿を見せてくれる大クスですが、この場所で生きていくということは
実はそんなに楽なことではありません。
高さ
27mという巨体は周りに何もないが故に台風や冬の季節風に常にさらされている状態にあります。
実際に海の方向にある大きな枯れ枝は
1959年(昭和34年)伊勢湾台風で折れてしまったもので、
台風の凄まじさを今に伝えています。


伊勢湾台風による被害  赤丸部分

伊勢湾台風では県内の大きな樹木が数多く倒壊し失われた。
その中で何とか枝が折れただけで生き残ることが出来たのは、大クスの長い年月を生き抜いてきた
強さと言って良いかもしれない。地元の方は当時の状況を
『葉もみな飛んで骨のようだった』 と話している。






 ★ 何ゆえに孤立したのか??

では、何故このような場所に大クスは1本だけで立っているのでしょうか。
はっきりとした記述はありませんが、その昔は神社の境内木だったようです。
当然ながら当時は神社の建物があり、大クスも木々に囲まれていたことでしょう。
そういった環境で育った後、色々な理由からこの木
1本が残され、今の姿になったのだと考えられています。
江戸時代には海を行きかう船の目印だったという話があるくらいですから、
この大クス
1本だけが残されてから随分時が経っているのでしょう。


単独の不自然さ

この様に海が近く風を防ぐものが何もない環境で、これだけの巨木が単独で育つとは考え難い。
昔は神社の木々に囲まれ、厳しい風から守られていたのだと想像するのは、ごく自然なことである。

いずれにしても、ここまで生き抜いてこられたことは奇跡といっても過言ではないだろう。







 ★ 長寿ゆえに受難

長い年月を生き抜いてきた大クスですが、昭和に入った後はまさに受難の時代だったようです。
その足元まで近づくとまず目に入るものが根元にある大きな傷です。
既に樹木医の手によって治療がされているこの傷、実は戦争中に樟脳を採るために樹皮を剥いだ跡なのだそうです。
クスノキの樹液から採れる樟脳は、防虫剤として用いられるほか、当時の新素材であるセルロイドの
主要原料として大きな需要があったらしく、そういった戦時中の物資として使われたのかもしれません。

【樟脳をとったといわれる傷跡】

少しずつ傷は小さくなってきているが、数十年前の傷跡が未だ残る姿は痛々しくもあり、歴史を感じさせる
ものでもある。 もう一つこの裏側にも同じ様に傷が残っている。
また、クスノキは樹皮の剥がれに対して抵抗性が強い樹種の一つであるが、
これだけの大きさの傷があれば大きな腐朽が起こってもおかしくない。
これは幸運なことかもしれないが、常に海風の吹くこの厳しい環境が逆にむき出しになった材を乾燥させ、
腐朽菌の進入を防いでいたのかもしれない。







 ★ 高度成長時代を経て
 高度成長期を向え、伊勢湾台風による大きな被害を受けた後、大クスに更なる試練が訪れます。
昭和
40年代〜50年代にかけて大規模な耕地整理が始まり、大クスの横を流れる小川が深く掘り下げられ、
コンクリートの農業排水路に変わったのです。
その工事中、川底に向かって伸ばしていた太い根の何本かが切り捨てられてしまったという証言を得ましたが、
それがどの程度であったかははっきりわかっていません。
その後、少しずつ樹勢が衰えていったようですが、当時はあまり大きな問題とはされていなかったようです。


1988年(昭和63年)ごろ:写真提供小林氏(大くす保存会会員)】

地元の方の話では耕地整理の前の大クスはもっと緑が茂っていたとのことである。
年代から推測すると、この写真はその後遺症から徐々に回復している状態ではないかと推察される。
ただし、この写真が現在手元にある中で最も古く、これ以前の状態との比較は残念ながら出来ない状況にある。
もっと古い時代の写真を手に入れ、今後の目標作成の為に現在と比較したいものである。







 ★ 樹勢衰退・・・再び

それから時が経ち回復基調であった大クスは2004年(平成16年)に再び急激な衰退を起こしました。
この年は夏の渇水、異常高温、台風の襲来といった厳しい気象条件に見舞われ、大部分の葉が落ち、
多数の枝が枯れてしまいました。もしかすると、昔は小川から染み出した水を十分に吸えたものが、
現在のコンクリートで囲われてしまった用水路からは十分に吸い取ることが出来ず、
この大きな被害に繋がったのかもしれません。

2006年(平成18年)2月撮影

葉がなくなり枝がはっきりと見えている。被害から1年半たっても、いまだ回復できていない状況が良くわかる。







 ★ このクスノキを守りたい

しかし、悪い話ばかりではありません。
この衰退を機に南長太町第一自治会会長の杉野博祥氏の呼びかけにより、地元の有志が集まって
2004年(平成18年)の9月に 大くす保存会 が発足しました。
保存会は草刈、乾燥防止のための<敷きワラ>、夏の渇水時には水を与えるといった保護活動をスタートさせ、
そのサポートとして樹木医がアドバイスを行いました。
そして土壌改良を中心とした樹勢回復作業を繰り返し行った結果、現在はかなり樹勢が回復してきました。
今後は更なる樹勢回復のため出来る限りの努力をしていくことになっています。

敷きワラの作業風景

毎年稲刈りが終わった9月になると、40名ほどの保存会の会員が集合する。
高齢の方たちが多いのだが、実に手早く作業を進めていく姿は若者に負けない元気さがある。
この姿を見ると、樹木医としてできる限りこの方たちの力になろうと思わずにはいられなくなる。
今後、この活動が若い力に引き継がれていくよう願うばかりである。







 ★ 感動をあたえる

実はこの大クス、遠くから眺めているだけ方が多いようで、
初めて根元まで来た人は皆さん 
『こんなに大きかったんだ』 と感動されます。
そんな体験をまだされていない方は是非近くまで行ってその姿を下から見上げてみてください。
悠久の時を過ごしてきたこの大クスはきっと何かを語ってくれると思いますよ。

大クスの今後

三重県樹木医会では大くす保存会を中心に三重県や鈴鹿市と協力しながら
更なる樹勢の回復を目指している。しかしながら、古木はそれにあった樹勢をどこに設定するのか
非常に難しいものである。ある程度茂っていなければ大きな体を維持していくことが出来ないが、
あまり茂りすぎれば強風などで自分を支えきれなくなり、倒木する可能性が増してしまう。
樹木医にはそういった部分を見極める重い使命があり、今はまだ道半ばといったところである。
こうして大クスに対峙してみると、このような古木に末永く生きてもらう為には
急に物事を変化させるのではなく、じっくりと腰を据えた気の長い精神が必要だとつくづく感じさせられる。
人間はどうしても自分の時間軸を基準にしてしまう傾向があるがそれは大きな間違いである。
何故なら私たち人間は大クスが生きてきた時間に比べれば、まだほんの少ししか生きていないのだから。




文責:中村 昌幸 会員       


オオクスの所在地はこちらです。 ↓↓ 航空写真でもその実体がわかります。




//大クスの土壌改良・・・平成22年3月21日保存会により実施//


※ このコーナーの文責は各会員にあり、三重県樹木医会が推奨している物ではありません