『私が樹木医を目指した理由』

池田昌樹(第3182号 樹木医) 令和5年度合格 | |
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私は⼦供の頃、親に連れられて鈴⿅⼭脈周辺のキャンプ場や公園、神社などによく出かけ ていた影響で⽊々や緑に囲まれていることが⾃然と好きになっていました。そして⾼校⼊学
後は⼭岳部に⼊部し週末に⼭を仲間と共に登るなかで、漠然と将来は何か緑に関わる仕事が したいと思うようになりました。ただその時点では具体的な職業のイメージはまだ湧いてい
なかったので⼤学では農学部を専攻しました。そして⼤学1年⽣として学⽣⽣活をおくる中 で、当時まだ⽇本での認知があまりなかった公園など緑のスペースをデザインするランドス
ケープアーキテクチャー、いわゆる景観設計という分野が欧⽶の⼤学では存在することを知 りました。⾼校時代から外国の⼤学へ留学することへの憧れというのもあり、⾃分の⼈⽣で
これをもし今やらなかったらきっと将来後悔すると思い⽴ち、英語の勉強やアメリカの⼤学 への編⼊準備を⾏い、オレゴン州⽴⼤学へ編⼊しました。この時が⼈⽣で⼀番必死で勉強し
た時間でした。⼤学で景観設計、園芸学を学び卒業後はポートランド市内にある造園会社で 働いていましたが、ここで⼤きな壁に当たりました。⾃分にはデザインの才能がないのでは
ないか、という思いです。その造園会社の社⻑はアメリカ国内でも知られたランドスケープ デザイナーで、その⽅の仕事ぶりを⾒る中でこの⼈のようになりたいという憧れの思いと同
時に、⾃分には無理だ、到達出来ないという思いも強くなっていきました。 そうした挫折感の中、⽇本に帰国後は造園業を選ばず、⼤⼿の素材メーカーに就職しまし た。サラリーマンとして海外営業などの仕事を⽇々⾏うなかで、⼀度はあきらめたはずの思 い、⾃分はやはり緑、⾃然に関わる仕事がしたいという考えが段々と強くなっていきまし た。そのような時に樹⽊医という職業が世の中に存在することを知り、⾃分はデザイナーと して緑や⽊々の空間を創り出す事は出来なかったが、⽊々を治療し、失われつつあるものを 回復させるという別の角度からならば、⾃分も世の中へ貢献出来るかもしれないと思い⽴ ち、樹⽊医を目指す決⼼をしました。 受験1年目は不合格となり、2年目はその1年目の受験勉強の⽅法を反省し、丸暗記の⼿ 法をやめ、個々の分野の知識を頭のなかで整理整頓し、その断⽚の知識をいつでも頭から引 き出せるようにしました。具体的には過去問題集の問題解説を読み、その中でさらに分から ない事柄をインターネットで調べ、調べた情報はパソコンに保存していつでも時間がある時 に⾒返せるようにしました。2年目の勉強量は1年目より圧倒的に少なかったですが知識の 断⽚を整理整頓したことで、様々な分野への頭の引き出しが増え、結果的に⼩論⽂試験も落 ち着いて臨めたと思っています。 樹⽊医試験に合格した今、樹⽊医としての仕事はまだまだ少ないですが知り合えた樹⽊医 の諸先輩⽅から多くを学び、⾒識を深め、⽊のお医者さんとして世の中の⼈々、⽊々、⾃然 に貢献していければと考えております。 |